人の問題は人が解決する
📍 仕事に対する無意識の刷り込みと、他者評価の曖昧さについて考えた。
📌 仕事とは「人を手伝い、役に立つこと」?
仕事って何だろう?
無意識的に刷り込まれているイメージを言葉にすると、
「人の手伝いをすること、役に立つこと」 という考えが浮かぶ。
でも、ここで問題なのは、「手伝う相手自身が、問題や課題に対して気が進んでいないことが多い」 ということ。
たしかに、何かを達成したい・解決したいという目標を持っている人は多い。
でも、その動機が
- 「売上を上げるため」
- 「社内での評価を得るため」
みたいな、実はそこまで切実でもない理由だったりする。
結局、「相手の評価をどうにかコントロールして得ようとすること」 って、
ギャンブルに近い んじゃないか?と思った。
📌 「課題の分離」に似た考え方
心理学でもよく出てくる**「課題の分離」** に近い話だ。
- 相手の問題は、相手が解決するもの。
- カウンセラーのように、相手の気持ちを汲み取り、自発的な解決を促すことぐらいしかできない。
とすれば、「確実に何かを変えること」よりも、「相手の評価という曖昧な結果」を期待して、投資し続けることに近い。
要するに、ブラックボックスな人間を相手にするギャンブル だ。
📌 「評価」は本当に信頼できるものか?
合理的な人間なんていないし、行動心理学的に見ても、
評価の構造は結局「可愛がられるかどうか」による部分が大きい。
- ちょっとしたことでも可愛がられる人は評価される。
- どんなに大きな成果を出しても、評価する人がそれを理解しなければ評価されない。
つまり、評価や承認欲求に期待しすぎるのは、あまりにも曖昧すぎて信用できない。
📌 目に見える仕事のほうが納得しやすい
じゃあ、評価を気にせずに納得感を得るには?
それなら、もっと 物理的に何かを動かす仕事 の方が納得しやすい。
例えば、
- 土を運ぶ
- モノを移動させる
やる前は ここにあったものが、やった後にはあそこに移動している。
このように**「自分がやったことが明確な仕事」** のほうが、ずっと手応えがある。
📌 「人の問題は人が解決する」
結局、何が言いたいのか?
👉 「人の問題は人が解決する。だから、放っておいていいのでは?」
世の中には「問題」とされることがたくさんある。
でも、それは提起した人が試行錯誤している課題であって、
- いつか本人が解決する
- 解かなくてもよくなると気づく
- 誰かが引き継いで解決する
そんなものだ。
だから、無理に自分が関わらなくてもいい。
🔗 関連リンク
📝 原文
::: details オリジナルの記録を表示
2025/02/25
仕事とは、無意識的に刷り込まれたイメージを言葉にしてみると
人の手伝いをすること、役に立つこと。
まぁでも自分が考える中で問題なのが、手伝う相手の人もあまり問題や課題に対して気が進まない様子だということ。
何かしら達成したいとか、解決したいという目標を持っているのかもしれないけど
それが売上を上げるとか、内部の評価を得るため。
みたいな別にそんなに大きい課題ではないし、正直そんな相手の評価をどうにかコントロールして得られるようにするというはギャンブルに近い。
心理学とかでもちょいちょい出てくる、課題の分離に近いことだ。
相手の問題は相手が解決することで、カウンセラーはあくまでも気持ちを汲んで本人の自発的な解決への手助けをすることぐらいしか出来ない。
とすれば、まぁ確定的に何かしらを動かして変化をさせると言うよりは、相手の評価という曖昧な出るかわからない結果を期待して、玉やメダルを投じ続けるギャンブルに近い。
しかもマシンが人というブラックボックスなため、本当に確率で当たるのかも怪しい。
合理的な人間なんていないし、行動心理学よろしく結局は社内での評価は評価される相手に可愛がられる人のほうが、ちょっとしたことでも評価の対象になるし
すごく大きなことをなしたとしても、それを理解し評価する人が低く評価すればそれまでだ。
そうなった場合に、評価とか承認欲求みたいものはあまりあてにならない。
だったらもっと物理的に、土を運ぶとか、モノを移動させる。
その結果、やる前はここにあったものが、あそこに移動している。
そのような目に見えてなにか自分がやったことが明確なことのほうが納得できる。
何が言いたいかと言うと、「人の問題は人が解決する。だから放って置いていいのでは?」
世にある問題と提起されている問題は、提起した人がいろいろ試している問題でいつかはその人が解く。もしくは解かなくて良いとわかるか、誰かが引き継いで解くか。
:::