ボケの側に立つということ

📍 「ツッコミとボケ」を仕事や考え方に当てはめたら、面白い発見があった話。


📌 京大の「変であることが平気」な文化

Twitterのタイムラインを眺めていたら、面白い記事を見つけた。

🔗 京大が「変であることが平気」な大学であり続けるには
👉 https://note.com/shinshinohara/n/n772f82697fff?sub_rt=share_b

京大の卒業式では、コスプレしている学生がニュースで取り上げられることがある。
それを見て、「アホなことができるのは良いなぁ」 と思った。

そして、この話を読んでいるうちに、ふと 昔読んだ本 を思い出した。

📖 槙田雄司著『一億総ツッコミ時代 (星海社新書)』

この本は、読んでいて楽しかったし、共感できる部分が多かった。
特に、「ツッコミばかりが多くなり、ボケが減っている」 という話は、実感があった。


📌 ツッコミが主流になる時代

今の時代、ネットには消費できるニュースやネタがひっきりなしに流れてくる
それに対して、みんながツッコミを入れ、
「これは○○じゃないか?」
「いや、○○の方が正しい」
みたいに意見を交わしながら、雑談のネタにする。

これがもう、当たり前になっていて、まさに本のタイトル通り 「一億総ツッコミ時代」 という表現がしっくりきた。

特に面白かったのは、子ども向けのYouTubeチャンネル で、
海外の工作動画を延々とツッコミながら見るだけの動画が人気だったこと。
「この動画のどこに需要があるんだ…?」と、個人的には不思議だった。

それくらい、世の中は 「的確にツッコめること」に価値がある時代 になっているらしい。
へぇ〜… 正直、あんまり興味はないけど。


📌 ツッコミと仕事の関係

この「ツッコミ」という概念、自分の仕事と仕事のやり方 に似ているなと思った。

特にプログラミングやシステム開発は、
精緻なツッコミを繰り返す作業 みたいなものだ。

  • 「このコード、本当に正しい?」
  • 「ここはエラーにならないか?」
  • 「もっと最適化できるんじゃないか?」

何度もツッコミを入れ、修正を繰り返して、やっと動く。
しかも、動くまでツッコみ続けなければならない。

これが 「ジャッジメンタル(裁きがち)」な状態 になりやすくて、
気づいたら 「心地よい対話ができなくなり、心苦しくなるサイクル」 に陥ってしまうことが多かった。


📌 ボケの側に回るという選択

「これは、もうプログラミングに向いてないんじゃないか?」と薄々感じていた。
「できる仕事」ではあるけれど、「やりたい仕事」ではない。

だからこそ、ボケの側に回った方が良いんじゃないか? と思い始めた。
ツッコミを入れ続けるよりも、ボケる方が楽しい。
そして、ボケなら何回でもできる気がする。


📌 楽しいと感じた仕事

思い返せば、ツッコミの仕事よりも、「ボケとして問いを投げかける仕事」 の方が楽しかった。

  • システム構成を考える。
  • データの流れを整理して、どうしたら綺麗に流れるかを考える。
  • 社内ネットワークの構成を図示する。
  • 自社サービスのランディングページを作り、集客施策を考える。
  • アクセスデータを分析し、会議でアイデアを出し、施策を試す。

こういう仕事は 「思い描いたものと現実のズレ」を観察して、試行錯誤するプロセス が楽しかった。
そして、これって 「ツッコミの仕事」ではなく、「ボケとして問う仕事」 だったんじゃないか?


📌 問いを投げることの楽しさ

最近は、デザインや「問い」について考える時間が増えた。
これは明らかに、ツッコミではなくボケの側にいる状態 だと思う。

「ボケとして問いを投げる」ことが、楽しいし、向いている。
それに気づいたら、不思議とワクワクしてきた。


🔗 関連リンク


📝 原文

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2025/02/23

Twitterのツイートから
この方の話が楽しくて読んでしまった。

京大が「変であることが平気」な大学であり続けるには|shinshinohara
https://note.com/shinshinohara/n/n772f82697fff?sub_rt=share_b

確かに京大の学生は卒業式の日にコスプレをしているニュースを見て楽しそうだなぁぐらいは知っていた。
アホなことができるのは良いなぁ。羨ましいと思った。

それと同時に、昔読んだ本を思い出した。
槙田雄司著『一億総ツッコミ時代 (星海社新書)』

この本は自分的に読んでて楽しかった本です。
ツッコミが多くなってボケが少ないというのは、自分の周りにも同じことが言えて共感した記憶があります。

何かしら消費できるニュースやネタ、コンテンツはネットでひっきりなしに転がってきて
それに対して自分の意見をツッコミっぽくツイートしたり雑談のネタにする。
そういうのは気にするまでもなく当たり前になってきて、本のタイトル通りで的確な表現だなぁと感心した。

面白いのは子ども向けに、海外の工作動画みたいなものを見てツッコミを入れ続けるYouTube動画のチャンネル登録者がすごく多かったことに驚いた。
この動画の何が面白く需要があるのかさっぱりわからなかった。

それぐらい、ネタに対して的確にツッコめるのは需要があるらしい。
へぇ~、あんまり興味がない。

私は、このツッコミを例えると自分の仕事と仕事をする態度に似ていて、つまらないなーと感じていて。
それよりも自分はボケのほうが楽しいなと、内心思っているのに気づきました。

プログラミングやシステム開発というのは、精緻なツッコミを繰り返すようで、なんだろうなマインドフルネス系の本でよく出てくるキーワード「ジャッジメンタル」になりがちなんですよね。
そう、「裁きがち」

そうするとうまく自分の中で心地よい対話ができなくなって心苦しくなってしまうのがサイクルになって段々と辛くなってしまう。

しかもプログラムは動くまでツッコみ続けるつまり修正を繰り返す。
私にはできる仕事だけど、やりたくないし、向いてないなと薄々感じていた。

だからこそ、私はボケの側に回ったほうが良いんじゃないか?その方が楽しいし何回でもできる気がする。

システム構成を考えたり、どういうふうにデータが流れたら綺麗かを考えるのは楽しかった。
開発とは別に、社内ネットワークの構成を考えたり図示する。
他には、自社のサービスのランディングページを作って、そのページへのアクセス数を上げるために施策を考えて会議で検討、実施したときは楽しかった。自分が思い描いているイメージと実際の結果が乖離していて、また修正案を出して検討、会議、実施をしていたときは楽しかった。

今は、デザインとか問について考える時間が多くやはりこれは、ツッコミではなくボケの側にいて、自分はボケで問うのが楽しいし向いてるんじゃないかなと、不思議とワクワクしています。
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