評価する側のセンス
📍 2025/01/20
📍 地元のイオンモールにて
📝 思考の記録
今日は新しいフリースを買いに地元のイオンモールへ行った。
外は久しぶりの雨で、湿った空気が心地よく、鼻が潤っていた。
🎨 小中学生の水彩画展示
-
以前見た展示:
- 想像力豊かな絵が多く、地元のお祭でうさぎが風船を配るような幻想的な作品が記憶に残っている。
- 自由さや遊び心を感じられる作品が魅力的だった。
-
今回の展示:
- 写実的な作品が多く、どれもつまらなく感じた。
- 風景画としては素晴らしいが、見慣れてしまうと「何を思ったのか」が見えなくなる。
- 技術的な上手さは伝わるが、心を揺さぶるものがなかった。
🤔 「評価する側のセンス」についての気づき
- なぜ今回はつまらなく感じたのか?
→ 評価する人の基準が、自分の好き嫌いと違った から。 - 作品の良し悪しなんて、結局は評価する人の主観で決まる。
→ これは「正解のないもの」だと気づいたら、気楽になった。
🎭 好き嫌いで決めていい自由
- 評価する人も好き嫌いで選ぶ
→ だったら、描く側も好き嫌いで描いていいのでは? - 「こう描いたらかっこいいかな?」「よく見られるかな?」と考えすぎると、
→ 最後には「仏作って魂入れず」になりがち。
→ 自分の感性を素直に表現することの大切さを再認識した。
🔗 関連リンク
📝 原文
::: details オリジナルの記録を表示
0002_評価する側のセンス
2025/01/20
今日は寝間着の新しいフリースが欲しくて、地元のイオンモールへ行ってきました。
最近はずっと雨がふらずに乾いた日が続いていたのですが、今日はポツポツと雨が降っていて、国道沿いを自転車で走っていて空気が湿っていて終始鼻が潤っていました。
イオンモールの1階には、地元の小学生や中学生が書いた水彩画の展示がされていました。
以前に、別の商業施設でも同じ様に小中学生の水彩画展示があって、そっちは面白い絵がたくさんあったのに、今日の展示はどれもつまらなかったです。
以前に見たもので良かったなーって感じたのは、小学生の作品で地元のお祭でうさぎが風船を配っているような想像上の世界が描かれている自由な感じがいいなーって思って記憶に残っています。
もちろん、忠実に風景を写し取って描いた風景画も素晴らしかったですが、写実的な画風はデッサンが上手になれば写実的になっていくので上手だけど、見慣れてしまうもので大人だなぁと感じてしまって、才能は感じますが何を思ったのかが逆に見えなくなってしまって、複雑な気持ちになりました。
そうそう、話は戻りますがイオンモールに並べられていた作品がなんかつまらなかったんです。
それは評価する側のセンスが自分の好き嫌いとは違ったなーと認識しました。
作品の良し悪しなんて言うのは、評価する側の勝手な評価軸とか、センスであって不確かなもの。
そう考えたら、真面目くさって物事を考えることから少し離れられて気楽だなーって思いました。
評価する側も好き嫌いで選ぶ、だったら自分も好き嫌いで描いていいじゃないか。
そう思ったんです。こう描いたらかっこいいかな、よく見られるかなと考えて自分の好き嫌いよりも見え方ばかりを気にしたら、最後には仏作って魂入れずみたいなことがよくあるからです。
:::