死んだじいちゃんの気持ちが少しわかった気がするわ。
📍 祖父の戦争体験と、自分が感じたこと
ふと、じいちゃんのことを思い出した。
ときどき口癖みたいに「バカバカしい」って自嘲していたけど、その気持ちが少しわかった気がする。
🌏 じいちゃんの戦争の話
じいちゃんの戦争話はよく聞いた。
東南アジア方面に行って、中国を経由して帰ってきたらしい。
腕には、銃弾が貫通した痕が残っていた。
生きるか死ぬかの話は、今思えばかなり重かった。
でも、そういう話を聞いてきたからこそ、自分の価値観にも影響を与えているなって感じる。
じいちゃんは、「死ぬのは怖い」って言ってた。
その言葉を聞いて、なんだか安心した。
やっぱり、怖くていいんだって思えたから。
💬 「おっそろしー!」の言葉
戦争の話をしていると、じいちゃんは決まって
「おっそろしー!」 って言うのが口癖だった。
それが妙に鮮明に記憶に残っている。
でも、その「おっそろしー!」には、どこか素直な気持ちがにじんでいた。
怖いものは怖い。
それを正直に言えることが、自分は好きだった。
戦場では、「怖い」なんて言うと上官に殴られたらしい。
だから、みんな口には出せなかったけど、本当はみんな怖かったんだろうな。
💡 もしも、じいちゃんが「怖くない」って思ってたら…
じいちゃんが自分の心に嘘をついて、
「飛んでくる弾なんて全然怖くねーぜ!」
なんて思っていたら、たぶんじいちゃんとは話せなかったかもしれない。
待てよ…
じいちゃんが生き延びなかったら、父さんも生まれてないし、自分も存在してない可能性があるのか。
これはまさに 「おっそろしー!」 だな。
🛤️ 「怖いものは怖い」でいい
何が言いたいかというと、怖いものは怖いと思っていい ということ。
そして、「生きたい」と願ったからこそ、じいちゃんと自分はお話できた ということ。
もしかしたら、じいちゃんは当時の価値観からちょっと逸脱していたのかもしれない。
でも、それだからこそ、今の自分がいるんだと思う。
「自分の思いに素直に生きよう。」
じいちゃんにできたんだから、自分にもできるはずだ。
下手に自分に嘘をついたら、変なところでいらない弾を食らうかもしれないしな。
💼 仕事を「戦い」に例えるのは違う
「仕事は戦いだ」みたいな話を聞くと、どうも滑稽に思えてしまう。
そんなに喜んで撃ちたい人なんていないし、そもそも自分だって撃たれたくない。
戦争は文字通りの「命懸け」だった。
じいちゃんたちは、本当に「生きるか死ぬか」の世界にいた。
それを知っていると、仕事を戦いに例えるのってちょっと違う気がするんだよな。
🔄 「バカバカしい」と言いたくなる気持ち
命懸けで戦場に行って、生き延びて帰ってきたら、
「もう戦争は終わりました。これからは全く別の価値観で生きてください。」
なんて言われたら、そりゃ 「バカバカしい」 って口に出たくなる気持ちもわかる。
じいちゃんの「バカバカしい」は、ただの愚痴じゃなくて、価値観の崩壊 だったんだろう。
📌 じいちゃんを思い出して
小学生のころは、戦争の話を聞くたびに「今は平和な時代を生きられて幸せだな」と思ってた。
でも、高校2年のときにじいちゃんが亡くなって、それから戦争のことをあまり思い出さなくなった。
久しぶりに思い出してみると、戦争の時代は
「豊かか貧しいか」なんて考える余裕もなかったんだなって思う。
ただ、「生きるか」「死ぬか」 の二択しかなくて、
「死ぬのは怖い」「生きたい」と願っていた。
そんな時代を生きた人がいたのに、
今の自分は「豊かさ」とか「より良い暮らし」について考えている。
そう思うと、ほんとにいい時代になったもんだよな。
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📝 原文
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ときどき口癖にように「バカバカしい」と自嘲してた気持ちが少しわかる。
自分何やってたんだろうなみたいな、信じてやってきたことが裏切られてそれを認めざるを得ない今を生きてる感覚だったんだろうなって。
戦争行く前は軍国教育受けて育って、戦争が終わって帰ってきたらそれまでの教えは消え去って、自分が信じて来たものがさっぱりなくなった価値観の中で生きてたんだから。
じいちゃんの戦争話をよく聞いてたよ。
東南アジア方面に行って中国を経由して帰ってきたって話だったわ。
腕に銃弾貫通してその痕があったりね。
生きるか死ぬかの話は結構聞いてて重かった。
そういう話は自分の価値観に影響してるなって思った。
じいちゃんは、死ぬのは怖いって言ってたよ。
自分はその言葉聞いて嬉しかったね。
やっぱり怖くて良いんだって思えた。
お国のためにとか、天皇陛下のためにとか教えられたけど、戦場は怖かったって話を聞いて嬉しかった。
そういう態度を見せると上官からボコられるから皆言えないけど、怖かったよって。
じいちゃんの口にする「恐ろしい」は、「おっそろしー!」ってお決まりのニュアンスがあって、鮮明に憶えてる。
でも「おっそろしー!」は、怖いって感情があって良いんだって思えるから自分は好きな言葉だった。
怖いものは怖いんだって、素直な気持ちがそのまま溢れていて、好きだった。
これは憶測だけど、じいちゃんが自分の心に嘘をついて
「飛んでくる弾なんて全然怖くねーぜ!」
って思ってたら多分じいちゃんと自分は、お話出来なかったかも知れないなって。
待てよ・・・父さんが戦後生まれだから、父さんすら存在しなかった可能性もあるのか。
これは「おっそろしー!」だ。
何が言いたいかと言うと、怖いものは怖いと思っていいし、生きたいと願ったからこそ、じいちゃんと自分はお話できたと考えたら、それは嬉しいなと思った。
ある意味じいちゃんは、当時の社会規範から少し逸脱していたかも知れないけど、それだからこその自分が在る。
「自分の思いに素直に生きよう。」
じいちゃんに出来たんだから、自分にも出来るでしょ。
下手に自分に嘘ついたら、それこそいらない弾を食らうかも知れないな。
だから仕事を戦いに例えてる話を聞くと滑稽でたまらないよ。
そんな喜んで撃ちたい人なんていない。
ましてや自分も撃たれたくないのに。
文字通りの「命懸け」の話だったよ。
命懸けで戦場行って来て、帰ってきたら全く別の価値観で生きましょうって言われたら、そりゃ「バカバカしい」って口に出るぐらいの感情が湧くのも当然だろう。
平和な時代を生きられる。って小学生ぐらいの自分は幸せだなって思ってたけど、自分が高校2年のときにじいちゃんが亡くなって、あまり戦争のことを思い出さなくなった。
久しぶりに思い出してみると、生きるか死ぬかの2択しかなくて、死ぬのは怖い、生きたいって願ってた。
だから豊か貧しいなんてのは考える隙間すら無かった。
そういう価値観しか持てない極限の時を生きた人もいたのに、今の自分は豊かさについての話にご執心で、いい時代になったもんだと思うよ。
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